日本最初の天神様が、防府に生まれた理由


◎防府天満宮とは、どんな場所なのか。

天満宮と聞くと、多くの人が「学問の神様」「受験の神様」を思い浮かべます。

しかし、防府天満宮は、そもそもの成り立ちから、他の天満宮とは意味が異なります。

  • 太宰府天満宮は 菅原道真公のお墓
  • 北野天満宮は 怨霊を鎮めるための社

それに対して、防府天満宮は――
「正直な心そのもの」を祀るために生まれた天神様です。

防府天満宮・鈴木宮司

無実の罪で都を追われ、太宰府へ向かう途中、道真公が最後に望みを託したのが防府でした。

「この地は帝の居られる京都と地続きである。願いが叶うのならばここで居をかまえ無実の知らせを待っていたい」

防府天満宮は、怨霊を鎮めるために建てられた社でも、権威の象徴として建てられた社でもありません。

無実を信じ、正直な心をそのまま受け止めた人々が、道真公の魂が留る居として創建した神社。

この心は時を経て幕末の志士たちに多くの影響を与えました。

長州藩の高杉晋作は、讒言により投獄された際、理解されない自分の志もきっと後世の人が道真公を評価し神となったように歴史が評価してくれるに違いないと自らの境遇を道真公と重ねました。

また天神さまを信仰していた楫取素彦も投獄された際、「例え自分が処刑されてしまっても道真公がそうであったように恨むことがないように」と家族に書き綴っています。

だから防府天満宮は、「お願いを叶えてもらう場所」というより、自分の心と向き合う場所として、今も在り続けています。


◎なぜ、防府という土地に、最初の天神様が生まれたのか。

防府天満宮が日本で最初に創建された天神様であることは、単なる歴史的事実ではありません。
そこには、防府という土地が持つ“性格”が深く関わっています。

防府天満宮・鈴木宮司

防府は、古代より 周防国の国府が置かれた場所。
政治・文化・物流の要衝であり、人と情報が交差する、いわば「開かれた土地」でした。

さらに重要なのが、この地に長く根を張っていた 土師(はじ)氏の存在です。

土師氏は、葬送や祭祀を司り、「人の生と死」「魂の行方」に深く関わってきた一族。

その土師氏にとって、菅原道真公は“遠い都の人”ではなく、自分たちの祖に連なる、精神的な英雄でした。

「だからこそ、防府の人たちは“この方は罪人ではない”と、直感的に信じたのだと思います」

実在した人物を、しかも亡くなった直後に神として祀る。
当時としては、極めて異例の判断です。

それを成し得たのは、防府という土地が持つ人を見る目の確かさ、そして 権威よりも心を重んじる感性があったから。

防府天満宮は、この土地の精神性そのものが形になった存在だと言えます。


◎県外から見たとき、防府天満宮の本当の魅力とは何か。そして、2027年へ。

県内に住んでいると、あまりにも「当たり前」に存在している防府天満宮。

防府天満宮・鈴木宮司

しかし県外の視点で見たとき、その魅力はまったく別の輪郭を持ち始めます。

それは、日本で最初に、実在した一人の人間の心を神として祀った場所であること。

「天満宮は全国にありますが、“最初に生まれた理由”を語れるのは、防府だけです」

そして今、防府天満宮は2027年の 御神忌1125年式年大祭 を迎えようとしています。

「裸坊奉仕1万人を目指す」と語るこの節目は、単なる大規模イベントではありません。

鈴木宮司は、こう語ります。

防府天満宮・鈴木宮司

「式年大祭は、防府天満宮と、防府というまちの関係をもう一度“結び直す時間”です」

信仰が、観光になり、行事になり、やがて“忘れられていく”のではなく。

もう一度、「なぜここにあるのか」を思い出すための節目。

それが、2027年なのです。


◎なぜ、牛なのか。そして、なぜ牛の像は伏せているのか。

天満宮に牛の像が多い理由は、単なる伝承ではありません。

菅原道真公が亡くなられた際、そのご遺体を運んだのが でした。

太宰府の地で、牛が伏して動かなくなった場所、そこが「ここに留まりたい」という道真公の意思だとされ、墓所が定められました。

以降、臥せた牛の下には道真公が居られると考えられ、臥牛は天満宮のシンボルとなっていきます。

だから牛は、天神様の神使(しんし)

さらに牛は、かつての農耕社会において「労」「命」「生業」を支える存在。

雷神の性格も持つ道真公と合わせて農業神としても信仰される。

防府天満宮の信仰が、学問だけでなく暮らしそのものと結びついていることを示しています。

防府天満宮・鈴木宮司


②援むすび山口ぶっちゃけインタビュー!

防府天満宮・鈴木宮司の“山口愛”を教えてください!

正直に言うと、取材前までの「宮司さん」のイメージは、ちょっと近寄りがたくて、厳かで、背筋が伸びる存在でした。

防府天満宮・鈴木宮司

鈴木宏明宮司と向き合っていると、肩書きよりも先に、一人の「人」としての姿が見えてきます。言葉は決して多くありませんが、その一つひとつが実感を伴っていて、聞く側も自然と力が抜けていく。そんな空気を持った方でした。

甘いものの話になると、少し表情がやわらぎます。「甘いものなら、あれですね」と教えてくれたのが、
地元・防府の和菓子屋 たなか遊花堂 の『わんぱく小僧』というおまんじゅう。
黒糖がほどよく入った生地に、なめらかなこしあん。「特別な銘菓」というより、子どもの頃からそばにあった、いつもの味という感じが伝わってきます。

防府天満宮・鈴木宮司

思い出のソウルフードの話になると、今度は少し懐かしそうに。防府に昔あった「八重門(やえもん)」というお寿司屋さん。ここにはなぜか、うどん派と焼きそば派に分かれる名物があって、宮司は迷うことなく一言。「私は、焼きそば派でしたね」。この即答が、なんだか妙に人間味があって印象に残りました。

おすすめの場所として挙がったのは、派手な観光地ではなく、室積(むろづみ)の海。「あのカーブを曲がると、帰ってきたなって感じるんです」。観光用の“映えスポット”ではなく、心が自然と落ち着く風景を大事にされているところも、鈴木宮司らしいなと感じます。

さらに驚いたのが、宮司になる前の経歴。実は若い頃に一級建築士の資格を取得し、東京の設計事務所でゴルフ場などの設計にも携わっていました。山の地形を読み、自然と向き合いながら線を引く仕事。その後、結婚を機に防府天満宮を継ぐ決断をし、学び直して神社本庁に勤め、宮司になったという異色の経歴です。

建築と神職。まったく違う世界に見えますが、「場をつくり、人と向き合う仕事」という点では同じ。今の防府天満宮の空間の心地よさや、行事の組み立て方のうまさには、この経験がしっかり生きているように感じました。

防府天満宮・鈴木宮司

スキーやゴルフを長く続けているという話も、派手な趣味というより、コツコツ続ける人柄をよく表しています。静かで、やさしくて、無理がない。そんな鈴木宮司の素顔は、防府天満宮の落ち着いた空気そのもののようでした。


山口直送!トリビアな話

防府市「花回廊」と57段の階段には、数字が語る物語があった
防府天満宮の表参道には、本殿へと続く大きな石段があります。この石段は、数えてみると57段。


菅原道真公が、防府の地に立ち寄ったとされる時の御年も、57歳でした。

もちろん、この数字を直接示す史料が残っているわけではありません。
けれど、このことを知ったあとに石段を上ってみると、一段一段に向き合う時間が、少し違って感じられてきます。

春になると、この石段を舞台に「花回廊(はなかいろう)」が行われます。
地元で育てられた花々が並び、長い歴史を刻んできた石段が、やさしい彩りに包まれる風景。
過去と現在が、静かに重なり合う――防府天満宮らしい季節のひとコマです。

「数字を知ると、景色の見え方が変わる。」
なるほど!やまぐち!


防府市 八代亜紀さんの歌碑が語る「なみだ恋」と防府天満宮の縁

防府天満宮の境内には、八代亜紀さんの出世作「なみだ恋」の歌碑があります。
この曲は、作曲:鈴木 淳さん、作詞:悠木 圭子さんによる一曲。

防府天満宮・鈴木宮司

作曲を手がけた鈴木淳さんは、当代・鈴木宏明宮司の叔父にあたる人物です。
八代亜紀さんは、デビュー当初なかなか芽が出ず苦労を重ねていましたが、この「なみだ恋」をきっかけに、一躍全国的な存在となりました。

この歌碑は、20202月、八代亜紀さんご本人が防府天満宮を訪れ、直接除幕されたものです。
なお、八代亜紀さんがご自身の歌碑を除幕されたのは、これが初めてだったそうです。

学問の神様として知られる天神信仰ですが、防府天満宮には、芸の道や表現の世界とも静かにつながる一面があります。
信仰と人生、歴史と人の物語が、そっと重なっている――そんな意外な魅力に出会える場所です。

「歌の奥に、人生の物語がある。」
なるほど!やまぐち!


援むすび山口・地産地消プロデューサーのまとめのことば

防府天満宮について取材を重ねる中で、これまで「知っているつもり」になっていたことが、実はほんの一部に過ぎなかったのだと気づかされました。

太宰府天満宮が菅原道真公のお墓であり、北野天満宮が怨霊を鎮めるための社として生まれたのに対し、防府天満宮は、まったく違う意味を持って始まった天神様でした。

それは、恨みでも恐れでもなく、「無実を信じる、正直な心」の行き着く先として祀られた場所。だから防府天満宮は、願い事を一方的に託す場所というよりも、自分自身と向き合い、心を整える場所として、長い時間を重ねてきたのだと思います。

取材を通して、「菅原道真という人物そのものに、強く興味がわいてきました。学問の神様として語られる以前に、無実を信じ、正直に生きようとした一人の人間として、どんな思いで防府の地に立ち、どんな気持ちで太宰府へ向かったのか。その人生に思いを巡らせずにはいられません。

行事や祭りに目を向けても、そこには派手さよりも、暮らしに根ざした思想があります。
牛替神事や裸坊祭に込められているのは、農や労、命とともに生きてきた人々の実感であり、
信仰が日常から切り離されていないという、防府らしい姿です。

表参道の石段や、春の花回廊に見える風景も、ただの景観ではありません。過去から現在へと続く時間の上に、今を生きる人の営みがそっと重なっている。そんな感覚を、自然と抱かせてくれます。

境内にある八代亜紀さんの「なみだ恋」歌碑もまた、防府天満宮の懐の深さを物語っています。
学問の神様という枠を超え、芸の道や人生の転機にまで寄り添ってきた場所であることを、
静かに教えてくれる存在でした。

こうして防府天満宮をあらためて見つめると、それは一つの神社というより、防府という土地が積み重ねてきた時間そのものだと感じます。

身土不二、その土地で育まれた歴史や文化、人の想いは、切り離して語ることはできません。

防府天満宮を知ることは、
防府というまちを知ること。
防府の人の生き方を知ること。

知ると、好きになる。
知ると、味わいが深くなる。
そして、好きになると、
自然と逢いに行きたくなる。

防府天満宮には、そんな「まだ知られていなかった魅力」が、今も静かに息づいていました。

防府天満宮・鈴木宮司


「防府天満宮 式年大祭限定品 はものまぜご飯の素/はものちらしずしの素」2名様 にプレゼント!

防府天満宮の御神忌1125年式年大祭にあわせて誕生した限定品『はものまぜご飯の素・はものちらしずしの素』。防府近海で水揚げされた鱧の旨みを、出汁とともに閉じ込めました。炊きたてご飯に混ぜるだけで、防府らしい上品な味わいを楽しめます。特別な調理は不要。式年大祭という節目を“食”で感じられる一品です。防府の海と人の知恵が生んだ味わいを、ご家庭で手軽に。プレゼントとしても喜ばれる、防府天満宮ならではの特別な一品です。応募方法や詳細は記事内をご確認ください。数量限定のため、なくなり次第終了となります。この機会にぜひご応募ください。防府の魅力を味わえます。ご縁の一品です。ぜひご参加を。お待ちしています!


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